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私は卓球を本格的に開始して50年以上になります。心から卓球が好きで、高校は卓球部入部が目的でした。好きな卓球人生を全うすることが私の生き様だと思っています。 50歳までは卓球を続けていることが夢でした。その夢は実現しましたが、もう一つの夢が「卓球専用練習場を自分で保有する」ことでした。残念ながら、それは現在まで実行していません。 はかない夢のまま終わるかも知れません。いつか夢が実現できると楽しいだろうなっと思っています。願望を遥かに越えた夢ですが、明日に向って頑張っていきます。 |
● 中学時代から本格的に卓球開始
運動が大好きな私は、小学校で得意だった野球部への入部を考えて体験練習に参加しました。しかし、大きな連中が大勢いること、野球用具が高いことから断念するや、次に相撲も強かったので柔道をやろうと当時稽古をしていた警察の柔道場を見学しました。ここでも大きな人が多く、とても勝負にならないと感じ諦めました。 |
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高校は、1年生にしてインターハイで優勝した実績のある高校に決めていました。入学と同時に入部して、毎日練習をしました。正月元日ぐらいが唯一休みでした。試験期間のときも卓球しないと不安になるのか、勉強よりも好きなので練習好きな同級生と申し合わせて、最小限1時間は練習をしました。 |
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私が社会人として製鉄会社に入社した動機の一つは、高校時代の卓球部の先輩も入社している会社なので、会社では卓球部の活動も相当熱心に違いないということでした。 |
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会社の卓球部員は私だけが事務系社員でしたので、選手兼マネージャーとして卓球部の中心的役割を果たさざるをえない状況になりました。 |
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私の仕事は新日本製鐵褐製鐵所(2003.10からパイプ部門は新日本製鐵褐鋼管工場として、メインのステンレス部門は「新日鉄住金ステンレス褐製造所」に分社、2012.10新日鐵と住金が合併して新日鐵住金梶jでの人事管理でした。会社の方針から、しばらく高校卒の採用を控えていたのですが採用再開する動きがあると、私は早速運動選手を採用するように働きかけました。「学業成績優秀でやる気のある積極的なスポーツマンが会社にとって望ましいですよ」「是非とも高校の運動部で活躍した人材を採用したい」と会社の人事課長に懸命に説明して、基本了解をとりつけました。早速、私は高等学校を訪問する採用活動を開始しました。事務系技術系のスタッフ数名が私の担当でした。 |
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私は40代において完全なオールラウンドプレーヤーに徹することでミスの少ない卓球を目指す素地ができたような気がします。仕事中心の生活でしたので、卓球の練習をする機会が少なく攻撃力が衰えていましたから、やむを得ない戦法です。 |
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50歳まで卓球を続けることは、私の若いときからの念願でした。それは何とか達成することが出来ました。私は、40代では県レベルの大会には出場することはありませんでしたが、国体予選県大会に50歳以上の部がありましたので、それに申し込みました。 |
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実際に初めての相手と卓球の練習をすることで、自分にはない、その人の独特の技に出会うことがよくあります。だからこそ、出来るだけ多くの人と練習をすることが自分自身の技を磨くことになります。卓球が上手下手の如何に関わらず、人それぞれに特徴があります。その特徴を自分にアレンジして吸収することで自分の技が深まってきます。50歳を過ぎて、改めて卓球の奥の深さを実感することができたのです。 |
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●55歳
北九州市 中井卓球クラブに入会 平成10年4月、仕事の関係で山口県の光市から北九州市に単身赴任をしました。(その後、家族帯同)既に55歳を超えていました。早速、近郊の卓球が出来そうな施設を見たり聞いたりして探しました。周辺の公民館や体育館を6箇所も回って、落ち着いた先が会社の寮の近くにある小学校の体育館を地域に開放している卓球クラブがありました。そこは毎週月曜日が卓球練習日の「中井卓球クラブ」です。 「中井卓球クラブ」は、ご高齢の方が多く卓球のレベルは相当に低く練習相手にはならないだろうと思いましたが、卓球を通じて適度な運動ができるので入会しました。平成14年には、メンバーも増えていますが、相変わらず素人卓球のクラブで公式の試合へ出場する方は誰一人いません。はっきりいえば「中井卓球クラブ」は卓球の下手な人が中心の仲良し卓球クラブです。 でも、ここでの卓球も捨てたものではありません。長く人生の喜怒哀楽を歩んできた方が多く、人生の達人たちは卓球が好きで楽しい人が多くいます。そして、下手だけど熱心、汗いっぱいかいて元気でワイワイやる楽しい卓球に感謝しています。 ●平成12年以降「新技マスターにチャレンジ」 北九州市での2つ目の卓球練習先は「井堀卓球クラブ」でした。このクラブには、いろんなスタイルの卓球選手・プレーヤーがいます。やがて、各卓球プレーヤーの癖や個性に慣れてくると、練習試合では負けることが少なくなってきました。特に40mmボールになってからは、メンバー全員に勝ち越しています。元気のいい若いプレーヤーと 対等に勝負するには、パワーでは到底かないません。緩慢で悠長な高齢者の卓球スタイルでは負けてしまいます。 そこで、瞬間的バックハンドの技で対処することが最も効果的な技でした。肘と手首の返しで繰出すバックハンドの技に磨きをかけました。そこから「瞬間的バックハンド」の攻撃でポイントをゲットする技が確立したのです。 また、対戦相手がバックに回り込んで打ち込んでくる。これをかわす技が「フォアサイド流しの技」として完成しました。これも、相手の様々な卓球スタイルから、それに対応するための技を開発せざるを得なかったのです。しかも、コーナーぎりぎりをつくコントロールが要求される技を歳に関係なく体得できました。 55歳以降においても、なおかつ「卓球の技」が身につくのですから、「卓球とは実に素晴らしいスポーツ」だと実感しています。「継続は力」このことを明らかにするために卓球を続けたいものです。 ● 60歳から卓球三昧【2002年 小泉首相北朝鮮訪問5人帰国】 平成14年5月末日で北九州市の新日鐵関連企業「光和精鉱」総務部部長を60歳で定年退職しました。そして6月、郷里の光市に帰郷しました。北九州市には4年強勤務しましたが、その間に仕事でも卓球でも多くの人との出会いがありました。その間、パソコンもなんとかこなすようになり「大江卓球教室」のHPも立ち上げました。 光市に戻ると、早速卓球指導の依頼があり「楽しい卓球が出来るのなら」と引き受けています。 平成14年8月時点では、光市、下松市、周南市(熊毛)で毎日どこかで卓球ができる状況になっています。 初心者、ベテラン、昔の卓球仲間など多くの人と卓球がプレーできる喜びと、卓球の練習相手やHP卓球愛好家の皆さんと卓球の楽しさを感じ合うことが心から嬉しいのです。 何より卓球が活性化して卓球愛好家が増えることが最大の喜びであり、「ライフワークとして卓球活動・指導をやり続ける」そう考えています。 私は1週間に7つの卓球クラブで12回の卓球ができる環境にありますが、実際には週9〜10回程度の卓球活動を展開しています。出来るだけ多くの人と楽しい卓球をすることを前提にして、原則として1日に1回卓球することが理想的生活と思っています。まさに、卓球三昧の生活です。 高齢と共に卓球の動きは、すっかり鈍くなってきましたが、それをリカバーするようにバックハンドが冴えてきました。バックハンドのドライブに、裏面打法として「裏面カット」「裏面ドライブ」も卓球の技として身についています。そして、何よりもサーブの種類が豊富なのです。サーブを自在に出せるのは、卓球の技を継続して工夫研究し、それを練習してきたからこそです。 「いつでも、どこでも、誰とでも」楽しい卓球をすることを信条にしています。そして、今後も元気を出して卓球を続けていきます。健康のための卓球より、元気を出すための卓球を目指しています。 ● 平成15年【2003年 スペースシャトル「コロンビア」空中分解】 5つの卓球クラブに週9回の卓球指導を継続してきました。 この年、裏面を一枚ラバーから表ソフトラバー(薄→中)に切り替え裏面打法(ドライブ)の技が完成しています。また、中ペンを使ったシェークハンドでの実践指導が完全にできることは、年齢を超えて卓球の技は向上することの証明となりました。 ペンもシェークも裏ソフトラバーでも表ソフトラバーでも、ドライブやカットなど多彩な技を自在にこなせるようになって、卓球がますます楽しくなったと感じられた年でした。 ● 平成16年【2004年 九州新幹線開業】 卓球活動は昨年同様に5つの卓球クラブに週9回の卓球指導は続けることができました。裏面打法も一層磨きがかかってきました。デジカメビデオの導入の図ってメールで送信する体制も整いました。 卓球練習会は春休みと夏休み、年2回だけ開催しました。 ● 平成17年【2005年 クール・ビズ開始】 卓球指導は週9回実施することができました。練習参加者希望者は多いのですが、ボランティアでの卓球活動にも支障がでるので増やせません。 卓球指導が中心なので試合への参加は少ないのですが、試合にも数回参加しました。中ペンでの裏面打法はドライブ、スマッシュ、カットにうち分けられる技術が確立しています。 ● 平成18年【2006年 フセイン元大統領死刑】 卓球指導は5箇所で週9回継続してきました。 1月2日には母校の練習始めにも参加して高校生と練習しました。 3月には東京のバタフライ道場でNHK-BS放送の「熱中時間」の撮影があり全日本卓球選手権で4回優勝している松下浩二選手のカットを打つこともできました。ピン球の回転を高速カメラで撮影したのですが、3時間撮影してテレビには数秒だけが映っていました。そして、巌流島でアートディレクターで卓球6段の浅葉克己さんとの卓球対決もあり、これが4月にテレビ放映されました。とてもいい思い出になりました。 卓球練習会は少数の参加者でも気軽に開催してきました。 ● 平成19年【2007年 安倍首相突然辞任】 卓球指導は5箇所で週9回継続してきました。 年齢を考えて週一回は完全休養日も必要ではないかと考えていますが、3月からは初心者コースへの参加者が増え、10月からは週9回の卓球指導とは別に、月1回だけ卓球指導の要望にも対応しています。 大勢での卓球練習会開催は少なくなりましたが、ミニ練習会を適宜実施してきました。 ● 平成20年【2008年 リーマンショック】 正月には高熱で数日間思わぬ休養をとりましたが、卓球指導は5箇所で週9回継続してきました。卓球活動を休むと、その日が充実した気分になれません。元気が出せる限り楽しく元気が出る卓球活動を続けてきました。 不特定多数での卓球練習会はありませんでしたが、卓球仲間に小学生、中学生、高校生が練習に参加するようになって卓球指導の幅が広がっています。ペンよりシェークでの卓球プレーが増えてきました。また、カットやセカンドラケットでのツブ高打法も自在にできる感覚が身につきました。 4月に出版社から卓球の本を出したいので協力してもらいたいという依頼があり、卓球活性化に寄与できると思い快く了解しました。再整理すれば、サイト「大江卓球教室」の内容から卓球の技術・練習法の本になりうるポイントが多くあります。東京のバタフライでのDVD撮影にも立ち会うことができました。 ● 平成21年【2009年 マイケルジャクソン死去】 卓球指導は5箇所で週9回継続してきましたが、その間に春には腹痛で数日間卓球活動休止、夏にはめまいで数日卓球活動休止を余儀なくされました。いずれも原因不明でしたが、その後は元気丸出しで卓球活動に邁進してきました。 1月下旬に発売となった卓球の本「卓球 基本と練習メニュー」DVD付きは、池田書店から出版され、売れ行き好調で秋には増版されました。大江卓球教室の集大成であり、卓球の教科書にもなりうるロングセラー本だと確信しています。 ● 平成22年【2010年 鳩山首相辞任】 卓球指導は従来通り5箇所で週9回継続することができました。1年間怪我も病気もなく元気に卓球活動に専念してきました。サイトや噂を聴いて卓球したいという申し出が増えてきたことは嬉しいことでした。 昨年発売の卓球の本「卓球 基本と練習メニュー」は売れ行き好調で、再度増刷の運びとなる旨、出版社から連絡がありました。 ● 平成23年【2011年 東日本大震災】 卓球指導5箇所、週9回は継続中でしたが、7月梅雨明けと共に猛暑日が増え、しばらく週1回練習を休むこととしました。ギックリ腰で数日間の休養はありましたが、卓球活動が毎日であることには変わりはありません。当分は週8回の卓球活動となりましたが、むしろ、卓球クラブ入会者が増えました。 ● 平成24年【2012年 東京スカイツリー完成】 卓球指導は、5箇所で毎日週8回実施していました。プレーしながら指導することを基本にしていますが、5月には「古来稀なる年齢」に達しました。そこで、年齢・体力も考慮して卓球指導の回数も減らしていこうと考えましたが、卓球をやりたい高齢者層の卓球クラブへの入会者が増えました。そのため、卓球指導・練習回数を減らすことはなく、自然体で明るく楽しく卓球指導することに徹しました。 ● 平成25年【2013年 富士山世界遺産】 卓球指導は、5箇所で毎日週8回実施していましたが、4月からは月曜日を休養日としました。週6日は体力気力が続く限り自分自身も卓球の技を磨きながら、個々人の特性を伸ばす卓球指導をしました。卓球クラブのメンバーが増えてフル稼働しても時間が足りない時もありましたが、元気に卓球指導を継続してきました。 ● 平成26年【2014年 高倉健死去】 卓球指導は日曜日から金曜日まで毎日どこかで実施してきました。(2月からは土曜日のみ卓球のない休養日としました) 指導している卓球クラブは5つで光市、下松市、周南市にあります。卓球クラブのメンバー約40名はベテランから初心者まで色々ですが、個々人の特性に応じた個人指導を実施してきました。 木曜日の夜に週一回練習している小中高校生の卓球チームから卓球指導の依頼がありました。そこに何度か訪問して練習相手をやりながらポイント指導をしてきました。木曜日は昼間に3時間の卓球指導があり、更に夜2時間の実技指導は体力の限界を感じました。 でも、若いパワーと触れ合う卓球は素晴らしいものでした。 ● 平成27年【2015年 イスラム国テロ】 昨年同様日曜日から金曜日まで毎日どこかで卓球指導継続中でしたが4月 PECは会場使用の制約があり解散しました。 卓球指導している卓球クラブは光市、周南市熊毛地区の3つの卓球クラブです。この卓球クラブのメンバー約40名はベテランから初心者までいますが、個人特性に応じた個人指導を実施してきました。 8月からホームページのほか、卓球のブログ「卓球する朗人」を発信しております。ブログはタブレットでも簡単にアップできて助かっています。その反動でホームページ「大江卓球教室」の更新がおろそかになりました。 ● 平成28年【2016年 熊本地震】 昨年4月から週4日の卓球活動でした。卓球クラブは3つで約40名でした。 自らも卓球の技を磨き各人の個性に応じた卓球指導を実践しました。しかも、実際に対戦しながら体を動かし卓球することをモットーに取り組んできました。 当日の参加者が多い時は、3時間の連続プレーで、かなりの疲労を感じることもありましたが元気に明るく指導することができました。 ● 平成29年【2017年 トランプ大統領就任】 昨年に引き続き週4日の卓球活動継続。3つの卓球クラブのメンバーは、少し減少して約30名。YouTubeの卓球動画だけでなくTwitterやInstagramの最新情報なども参考にしながら自らも卓球の技を磨き指導してきました。メンバー各人の個性に応じた卓球指導に留意して、対戦しながら体を動かし卓球してきました。 また、卓球マシーンを導入して、より多くの球を打つことで初心者クラスの上達も早まっていましたが、やはりマシーンは飽きるようでやめました。 ● 平成30年【2018年 カルロス・ゴーン逮捕】 昨年に引き続き週4日の卓球活動継続。3つの卓球クラブのメンバーは故障など体調不調で多くの方が脱会され、また新規入会も多い年でした。メンバー30名弱となりましたが、まだまだ体は動き、それぞれの個性に応じた卓球指導をしてきました。 ペンもシェークも実際にやってみせ新しい技も自ら取り入れて、個々人の個性に合った卓球プレーを伸ばしてきましした。 ● 平成31年【2019年5月元号平成から令和へ】 昨年に引き続き週4日3つの卓球クラブを主宰して卓球指導継続。 ● 令和元年5月急遽入院 健康体、病気知らずを自慢にしていましたが、令和元年5月人生初の入院を経験しました。それも、心筋梗塞で20日間の入院でした。 それでも、退院一週間後には卓球を再開しました。3ケ月間はリハビリが必要というので、少しペースを落として卓球指導を通じてのリハビリでした。食事療法もあり入院前より5〜6Kg痩せました。(その後、体力回復につれ体重も増加) 激しく動くことを避けて、シェークハンドとペンホルダーを使い分け両ハンドを駆使して以前よりやや休憩を多くして卓球指導継続。 その後、設備の整った病院で運動負荷テストを実施して、卓球活動継続に問題がないという判断が出て、自信を持って卓球指導に取り組むことが出来ました。 ● 令和2年【2020年 新型コロナウイルス感染世界恐怖】 昨年に引き続き週4日3つの卓球クラブを主宰して卓球指導継続中でしたが、3月になると新型コロナウイルス感染の騒動が日本のみならず世界を震撼させる状況になりました。 そのため、夜の部の三島コミュニティセンターでの大卓クラブは、当面休眠といたしました。それにより卓球指導は週2日になりました。 4月に入り、新型コロナウイルス感染は更に拡大して緊急事態宣言が発せられました。当地区でも体育施設についても使用禁止となり、卓球活動は一時中止を余儀なくされました。 卓球指導者の後継者になりうる心技体共を備えた適任者が、卓球クラブに新規入会されて非常に心強く思っています。大卓クラブの木曜会は二人で卓球指導が出来る体制が整いました。 ● 令和3年【2021年 新型コロナウイルス感染が続く中で卓球活動続行中】 夜の部の卓球指導は、コロナ禍では継続不可と判断して、長い間利用してきた公民館の使用を断念しました。そのため、卓球指導は昼間の週2回となりました。 新型コロナウイルス感染者は1月には第三波のピークとなり、その後3月には相当減少したかと思いきや、あっという間に第四波となり5月がピークです。 一方、ワクチン接種が開始され、私も4月に1回目のワクチン接種、5月には2回目を完了しました。 丁度その頃、私主宰ではない近所の卓球クラブから入会の要請があり、意を決して6月から卓球クラブに参加することにしました。 しかし、昼の部は参加者が減少して夜の部のみとなりました。夜の部には何度か参加しましたが、無理が出来ない身体でもあり参加が難しくなりました。 コロナウイルスは12月にはデルタ株での感染者が極めて減少してきました。一方、オミクロン株が静かに迫っていました。そのコロナ禍でも昼の部週2回の卓球指導は継続中でした。 ● 令和4年【2022年 コロナのオミクロン株で第6波第7波第8波襲来】 コロナウイルスのオミクロン株は急激に増大して、山口県は1月14日から「まん延防止等重点措置」が発出されました。年明けから3回卓球しただけで、卓球活動中止を余儀なくされました。地域の公共機関の施設の大部分も一時使用中止となました。 全国的な感染拡大で2月20日まで「まん延防止等重点措置」の期間が延長されました。その後、上記の措置も解除となって卓球活動も再開することとなり,,なんとか週2回の卓球活動を継続することができました。 ● 令和5年【2023年 コロナの第8波から5月5類移行】 全国的にコロナ陽性者は減少傾向になって5月5類に移行。 それにより徐々に社会活動も盛んになってきました。 私自身も体力の衰えを感じつつも週2回の卓球指導を継続しました。 中ペンのラケットをペンホルダーだけでなく、シェークハンドに持ち替えてプレーしながらの指導です。 ● 令和6年【2024年 元日に能登半島地震甚大な被害】 週2回の卓球指導は継続しています。 以前の卓球クラブメンバーが卓球再開したいと新規入会され、メンバーの平均年齢が少しだけ若くなっています。 突然。卓球したい方は初心者クラスは水曜日、ベテラン卓球経験者は木曜日の卓球クラブにお越しください。 当日ラケットのない人にはラケットをお貸しします。シューズがない時も26cmならセカンドシューズがあります。臨時参加は無料ですから気軽にお立ち寄りください。 |
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